2013年1月10日 (木)

日米間で留学生交流増加策を検討

 2013年1月7日、ホノルルで、日米文化教育交流会議CULCONの高等教育タスクフォースに参加しました。CULCONとは、聞き慣れないと思いますが、池田勇人首相とJ.F.ケネディ大統領の話し合いで、両国間の文化教育交流について提言を行うものとして、1962年に設けることとされたものです。

 このたびの高等教育タスクフォースは、最近の日本からアメリカへの留学生の激減をどう反転させるか、アメリカから日本への留学生をどうさらに増やすかについての具体的な行動を検討するために設けられたもの です。日米双方の有識者、大学関係者、政府機関関係者などが参加し、胸襟を開いて、虚心坦懐に、フランクな議論が行われました。

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2011年3月14日 (月)

Going Global 2011 で、日本の高等教育の国際化をプレゼン

3月11-12日香港で開催されたBritish Council 主催の Going Global 2011 に参加しました。
Going Global は、高等教育について2年に一度の国際会議で、今回5回目。従来はロンドンで開催されていたのが、その名の通り、今回は初めて英国の外に出て香港で開催されたというものです。
70の国・地域から1000人以上が参加。その中には15人の大臣・副大臣もいらっしゃいました。

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今回のGoing Globalに合わせて、British CouncilJapanでは、日英の大学間での新しい連携・協力のあり方を探る会議を企画されて、上司の方にそれに出てもらえないかという話がまずありました。重要ではあるが国会中であるので、私が代わりに遣わされることになりました。そちらはclosedな会議です。

一方、Going Global 2011 には世界中から高等教育関係者が集まるのなら、日本の取り組みもアピールしたいですが、どうしたらいいかな? いろんなセッションを聞きに行って真っ先に質問とかコメントする(その中で日本の取り組みをアピール)ことかななどと思いながら、British Council Japanのスタッフに相談しました。2-3日のうちに、「高等教育の国際化への国としてのアプローチ」というセッションで発表してくれないかという話をいただき、即、お受けしました。

セッションは1時間。私を含めてスピーカーは3人。一人12分のプレゼン。その中で、何を伝えるか。

まずは、この数年で政策がrichになってきたこと。海外から活力を導入するという大きなパッケージの中で留学生30万人計画、その拠点整備としてのGlobal-30が出てきた。次はアジアでの質保証を伴った交流という、より具体的な重点。そして、経済活動などがグローバル化していく中で、日本人学生ももっと海外に出るようにしてグローバル化時代の人材の素養を身につけるようにする。

そして、こうなった姿というのは、いまや世界の大学間学生交流運の大きな潮流に乗ったものであるということ。昨年秋くらいからいろいろな会議に出て感じていることは、世界規模での留学生の動きというのは、昔ながらの一方的な流れ、つまり、十分なキャパシティがない途上国から先進国に学びに行くという流れではなくなっています。いわゆる途上国であっても相当程度自前で高等教育需要(少なくとも学部段階)をまかなえるようになってきた国では、むしろ母国の大学に籍を置く学生を一定期間海外の大学に送り、異文化を体験させることを主にした交流をさせたがっています。また、先進国の大学でも、学生に、地球上のさまざまな状況に目を開かせ、異文化受容性などを身に付けさせるために、これまであまり留学先になっていなかったようなところに、やはり交流型で送りたいという、「双方向、異文化体験重視型」の学生交流が主流になっていこうとしているということです。

その際は、単位互換や、いわゆるダブルディグリー、ジョイントディグリーなどを織り込んで、異国での学ぶが正当に評価され、不利にならないようにしないといけない。これには、交流先との間で、教育の質保証について、相互理解し、単位互換などを行う枠組みを作ることが前提。制度も違う国の高等教育機関同士の間の話だから容易ではないが、お互いの制度の説明から始めてやっていかねばならない。

そして、なぜ、異文化体験が大事か。世界がグローバル化すると、ビジネスの世界では当然だし、地球的課題の解決に取り組んでいく公的あるいはNGO的な活動でも、文化的背景の異なる仲間との協働はあたりまえのことになってくるし、むしろ、多文化環境から新しい発想、価値が生まれるからです。グローバル化時代の大学の社会的責務には、異文化の仲間と協働できるように若者を育てることがあると思うのです。

文化的にはかなりhomogeneousな中で育ってきた日本の若者には、できるだけ多くが異文化との触れ合いを経験できるよう、相当意識して仕組まねばなりません。

さらにここまで来ると、巷間言われる日本の若者の「内向き志向」に触れないわけにはいきません。英語に自信がない、就活とぶつかるなどという事情はあります。そう言っても彼らのマインドセットの問題もないことはないでしょう。しかし、そのマインドセットは「失われた20年」の副産物ではないでしょうか。一方で、バングラのドラゴン桜、早稲田の税所篤快さんのようなとんがった積極的な若者もいるのです。若者は内向きだと批判しているだけではなんの解決にもなりません。

このようなことを言おうとして作った原稿は、読み上げてみると20分以上かかってしまいました。今回の出張中、空き時間を使ってどんどん枝葉を削りました。パワポはこちらです。

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そのセッションでは、他に、香港教育庁のMichelle Li次官、ケニアにあるUnited States International University  のDoreen Alusa 講師が発表し、British Council Honk Kong でglobal education を担当しているJanet Ilieva さんがchairでした。会場に行ってみたら、4人のうち男性は私だけ。Li次官は、交換留学で上智大学に来ていた経験がおありでした。

Li 次官の発表は、香港をいかにさまざまな国からの留学生にとって魅力的にするかという具体的な取り組みが主体でした。積極的なリクルート、在留資格の合理化から始まり、キャンパスの国際化、卒業後の就職支援(在留期間延長を含めて)、香港ならではの多文化体験などなどです。もともと国際性のある香港でも、日本の留学生30万人計画と同じようなことを、ここまでやっているんだなという印象でした。パワポも洗練されてました。

ケニアのAlusa さんの発表では、ケニアでは大学進学率が僅か3%、海外の大学との交流は始めつつある(広島大学はやってます)、質の悪い交流にならないよう、実質的な質保証や、きちんとした取り決めの締結などに相当気を遣っていることが印象的。とくに、最後に、10%にも満たない進学率を少しでも高めるためにも外国の大学との連携は重要と締めくくっておられたのは、アジアでの交流は第一プライオリティかもしれないが、そういう現実にも目を向け、日本が、あるいはアジアで連携して、あるいは、欧米と連携して何ができるかを常々考えていかねばと思いました。

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質疑の中では、日本からの参加者からも積極的に質問がありました。国際化を進めるには大学の教職員も変わらねばならないが具体的にどうしているのかという、香港の次官への質問でしたが、Chairが「私も何か言うか?」と囁いたので、普段から思ってる、
・教職員のマインドセット、態度を変えることが必要で、本当に国際化が進んだかは外国人学生数が増えたかというようなsuperficialな指標ではなく、マインドセット、態度が変わったかで見ないといけないと思う。Global-30の中間評価でもそこが大事だと自分は思う。
・ただ、マインドセット、態度を変えるのは簡単でない。いろいろなやりかたがある。だからこそ、いろんな国での取り組みのGood Practice やlessons learned を交換しあうことは意味あることだ
とお答えしました。

このこのセッションは、今回のGoing Global の中で2番目に人気が高かったということです。セッション終了後も何人かの方から「ぶらさがり」があり、さっそく今後の情報交換についてメールを送ってきた人もいます。日本のプレゼンスを示すということはなんとか果たせたかと思います。これから本当に重要なのは、つねにあちこちとディスカッションして、他の国のやり方に学ぶべきは学びつつ、日本の国際化戦略、プログラムをより洗練させていくことだと思います。

なお、今回のGoing Global 2011 のスピーチ、プレゼンは、Policy Review TV で見られます。Going Global 2011 全体についての目録はこちら、私のプレゼンについてはこちら。落ち着きがない話し方です。もっと場数踏まなければ。

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2011年3月10日 (木)

京都大学-ASEAN大学連合 初のワークショップ

3月8-9日、タイ バンコクで、京都大学-ASEAN大学連合(AUN)の初めてのワークショップ「協働と交流による学術パートナーシップの構築」が開催された。

ASEAN大学連合(AUN)については、過去に書いてことがありますので、こちらをどうぞ。

実は、京都大学は東南アジアとの関係には歴史があります。1964年に東南アジア研究所ができました。いわゆる地域研究の中心です。地域研究では一定期間現地に入って調査する必要がありますから、その拠点として、まずバンコク、ついでジャカルタに駐在員事務所が設けられました。いらい、関係の先生が交代で駐在員事務所に詰めているそうです。

京都大学とAUNは、2009年12月に、学術交流・協力の覚書を結んでおり、今回のワークショップは、(1)学生交流、(2)博士課程大学院生の共同指導、(3)持続可能な社会に向けた研究協力、の3つの点から行動計画を検討しおうというもの。AUN側からの働きかけで開催されたということです。ホストは、チュラロンコン大学(Chulalomkorn University)。タイの日系企業が支援してくださいました。トヨタ、三井住友銀行、ソージツ(双日)、ソンボ、三菱東京UFJ銀行です。ありがとございます。

初日午前中は、開会式の後、特別講演4件。午後は、上記(1)-(3)の3つのテーマについて、AUN側の大学と京都大学から何件か発表しパネルディスカッション。

開会式では、ホスト機関を引き受けてくださったチュラロンコン大学Kalaya副学長、AUNの会長で政府の高等教育委員会事務総長のSumate博士、私、それに京都大学副学長(国際関係担当)・国際センター所長の森教授の4人から挨拶。

特別講演は、
・JETROバンコク山田宗徳所長が、「グローバル化に期待される人材」
・私が、「日本の大学の国際化の課題-双方向交流の強化」
・森教授が、「京都大学の海外との交流」
・AUN事務局長のNantana博士が、「地域の大学間交流:ASEAN+3からの課題と解決策」

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左から、Nantana AUN事務局長、Kalaya チュラロンコン大学副学長、森 京都大学副学長、山田JETROバンコク所長、Sumate AUN会長、私、Coltis AUN事務次長

Nantana事務局長の講演では、AUNの協力相手の説明があった。中国、韓国はそれぞれ、ASEANとの間で協力計画を持っているが、日本の場合は、工学分野でASEAN側と日本のいくつかとの大学で修士・博士の共同育成、共同研究のネットワークを作り、アジア地域の工学系の教員養成で大きな成果を挙げたSEED/Netの例はあるものの、今回のワークショップも京都大学が自発的にAUNと結んだ覚書に基づくものであり、国レベルでASEANと大学交流をどうしていくのかが見えにくい格好になっていると感じた。

また、昨年11月にブルネイで開催された、ASEAN+3の大学の国際担当部局長会議の結果の報告があった。Information, System, Quality, Financial Problems, Conpetence, External Problems, Attitudeの7つの領域で何が問題になっているかをとりまとめたもの。各国の問題にかなり共通性がある。ということは、解決策もいっしょになって考えれば、いいアイデアも出てくるだろうと思う。

私の講演の資料、話したことはこちら↓です。
「110308_KATO_Shigeharu_Kyoto_AUN.pdf」をダウンロード
「110308_AUN_Kyoto_workshop_as_delivered.doc.pdf」をダウンロード


午後の3つのパネルディスカッションにつては、特に印象に残ったことを書きます。

学生交流については、ASEANの大学も京都大学も特に、夏季などの短期プログラムについて発表がありました。インドネシアのガジャマダ大学では、夏の間の短期プログラムで、DREaMというものを行っている。これには社会起業の経験もあったり、各国からそのプログラムに参加した学生たちの間の競技や文化イベントなどもあるということ。当然、ガジャマダ大学の学生もいっしょになって参加する。こうことを発表したのは、国際担当副学長が付き添ってきた学生ボランティアで学長のお手伝いをしているMonica Yanuardaniさん。学長のお手伝いをするボランティアは10人だけですが、応募が多くて選べれるのは大変で、選ばれること自体がすごく誇りになるそうです。非常にしっかりした発表でしたが、休憩時間に聞いてみたら、学部4年だというのでびっくりしました。

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ガジャマダ大学の学長のお手伝いのボランティア Monica Yanuaradaniさん

共同指導の関係では、double degree, joint degree の関係も話題になりました。京都大学の渡部由紀助教からは、共同学位を進める際の障害のひとつとして、他大学で取得した単位を移せる上限が10単位であることなどの規制もあると重要な指摘をしてくれました。国際交流を進めるためには、大学だけでなくて政府もやるべきことはやらねばならないと考えていて、単位以降の上限も検討することになっているとコメントさせていただきました。

共同研究のセッションでは、ASEANの大学側からは、シンガポール国立大学、フィリピン大学から発表がありましたが、両者とも、国の強みとの関係で大学の使命は何であるか、自分の大学の強みは何かをはっきり打ち出す説明でした。シンガポール国立大学のvision, mission statementはとても印象的でした。visionは、towards a global knowledge enterprise で、missionは、 to transform the way people think and do things through education, research and serviceです。「教育、研究、サービスを通じて、人々の考え方、物事のなし方を変えていく」、すごく自信に満ち溢れているし、社会としっくり、しっかりした関係ができているのだろうなと感じました。

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シンガポール国立大学のvision, mission

このセッションでは、京都大学東南アジア研究所の河野泰之教授も発表されました。東南アジアや欧米から客員を呼んで広がりをもって研究を進めてきたこと、現地語の資料が多く収集されていて学問的価値があること、査読ジャーネルをずっと続けてきていて筆者がかなり学際的になってきていること、今後は自動的に翻訳される多言語、オンラインジャーナルを発行してこうとしていることなどでした。中身もありましたが、人間味溢れる、非常に正直、直裁なお話振りで、大変好感を持ちました。きっと各大学の代表のみなさんは東南アジア研というか河野先生にに非常に印象付けられたのではないかと思います。

2日目は、参加者が4つのテーマにわかれて議論して、それぞれの結果をもちより、行動計画までたどり着こうというものです。私は、香港でのGoing Global 2011での発表の準備などのため出られませんでしたが、一日目の状況からして、活発な議論が行われたものと推察します。

AUNは現在メンバーが20以上の大学に増えています。これを京都大学だけで相手にするのは大変でしょうし、他の大学にもAUNを通して東南アジアの大学と協力関係を拡大するのは、独自にパートナーを探したりするよりはるかに効率的なはずです。ぜひ、日本側もコンソーシアムを組むなどしていったらよいと思います。

とにもかくにも、「議論してるだけじゃなくて、実行しなければ」という強い意志をもっておられるNantana事務局長からの要請を受け、中身の濃いワークショップの開催に漕ぎ着けた京都大学の森教授、関係の先生方のご努力に心から敬意を表します。こういった経験などもグローバル30のネットワークなどを通じて広めていただき、他の大学の参考になるようにしていただければと思います。


2011年3月 8日 (火)

フィールド調査でどこへでも、バンコクの日本人留学生

京都大学とASEAN大学ネットワークのワークショップ"Building Academic Partnership through Collaboration and Exchange"に出席するため、バンコクに来ています。

きょうは、バンコクにいる日本人留学生との懇談。京都大学東南アジア研究所駐在員事務所の星川圭介先生、今回のワークショップの準備に当たってきた京都大学エネルギー科学研究科の園部太郎先生が、声をかけて集めてくださいました。7人来てくださいました。

多くは、地域研究をしている大学院生さんで、現地調査のためにこちらに来ているということ。水上マーケットの研究をしていて、バンコクからバスで片道3時間の海辺の町から来てくれた院生さんもいます。現地では水上マーケットの家に住み込ませてもらい、寝食をともにして調査しているそうです。その他にもバンコクから離れた地方で調査されている人が多かったです。調査の計画も独力で立てて、どこでも一人で分け入っていく行動力をお持ちです。

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みなさん、博士論文の研究の全体スケジュールの中で、どのタイミングで現地調査を入れるかに苦慮されているようでした。京都大学東南アジア研究所の柴山守教授も同席してくださいましたが、昔はこれはと思う学生には、現地に数年どっぷり漬からせて研究させたものだが、最近は早く博士を取らせたい、取りたいという、教員、院生双方の意志で、じっくり現地での研究が行いにくくなっているということでした。

奨学金、とくに民間財団からの給付制のものが大きな支えになっているいう声も多く聞かれました。大学の事務の方や先輩がそういう奨学金の存在を教えてくださるそうです。日本での修士課程時代にJASSOの貸与制の奨学金を借りて、今はオーストラリア国立大の博士課程に在学しながら自ら得た収入でJASSOの奨学金を返しているという院生さんもいらっしゃいました。ちなみに、オーストラリア国立大に必要な経費は、その大学の日本人卒業生が作った奨学金をいただいているそうです。得られるのは毎年一人という価値の高い奨学金です。

なお、奨学金やその他の資金援助の関係では、いろいろと考えさせらる、次のようなご意見をいただきました。
・日本からの留学生に支給する民間財団の奨学金は、応募資格が国内にいることとしているものが多い。海外に出てしまっていると申請できない。
日本学術振興会の特別研究員制度では、支給期間のうち海外にいていい期間が半分までで厳格に運用される。海外調査が多い研究生活だと、思う存分海外調査できない。
・仕分けの影響で、GPものから海外調査に使える予算が急減している。東南アジアは単価が低いから、まだなんとか来れるが、南米・中東などには行かれなくなっている。

また、外国の大学で博士課程を修了するような形で外国に出てしまうと、欧米ならまだしも、他の地域では出た先の大学のことが国内でよく知られていないなどで、帰国後のポストの競争で不利という意見もありました。

きょうは、そもそも海外に出ているし、しかもフィールドワークなどで、どこへでもずんずん入っていく積極的な学生さんからの話でしたが、諸制度が足かせになっているところもあるのではないかと感じさせられました。もっと海外に出て行くのを促進しようとするならば、こういうところの見直しも欠かせないと感じました。

さらに、日本の国費留学生の経験を持つタイの方も一人お見えになりました。日本留学経験者がタイ社会でどう活躍しているかを調査されいるそうですが、最近の日本への留学生は、学位をとるため勉強ばかりに専念し、日本社会を知らないで帰ってきていると懸念されていました。

このように、きょうも新しい側面に目を開かれた時間でした。みなさん、お忙しい中、お越しくださりありがとうございました。

なお、今日集まった皆さんはじめ、月に一回、タイに来ている留学生で集まり、どんな活動をしているか発表し合い意見交換する、「バンコク・タイ研究会」を開いているそうです。違う分野の人から意見をもらえるのが非常に有益ということでした。そうです、違う角度から同見えるかは大変重要です。さらに発展していくことをお祈りします。


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2011年2月 5日 (土)

愛校心溢れる学生ボランティア団体 明治大学生田環境デザイン部

1月25日、財団法人学生サポートセンター主催の学生ボランティア団体・学生ビジネスプランコンテスト表彰式に出席した。

財団法人学生サポートセンターは設立された平成15年以来毎年度、支援・表彰する学生ボランティア団体、学生ビジネスプランを選考してきている。平成2年度については、学生ボランティア支援を受ける56団体学生ビジネスコンテストで表彰を受ける23作品が選考された。表彰式ではこれらの団体、作品に表彰状が授与された。

表彰式に続く懇親会の冒頭でお祝いの挨拶をさせていただいた。表彰されたことをお祝い申し上げたうえで、
・ボランティア活動、ビジネスプランの実践に取り組むみなさんは、すでに新しい公共の担い手としての取り組みを進めており、大いに心強い。
・ボランティア活動、ビジネスプランの実践などを行うと、価値観の異なる人たちとぶつかりながらも理解し合い協働する、夢を持ちその実現に向けてがんばるという経験をする。それこそが大学時代に、勉強に加えて経験してほしいこと。勉強(知)だけで頭でっかちになるのでなく、異なる価値観の理解(情)、夢の実現の情熱(意)もあわせて成長し、知情意をバランスよく育ててほしい。
・今後は、さらに励み、みんなの夢アワード社会イノベーター公志園などにチャレンジし、大学生以外の人たちとも競い合ってほしい
ことを申し上げました。

懇親会で話した表彰された学生さんの中で、たいへん愛校心にあふれている学生さんがいらした。ボランティア団体支援で表彰された明治大学生田環境デザイン部の中村勇太さんだ。

「最近はボランティア活動やってる学生さんって多いんですか?」というところから話に入った。
中村さん:生田キャンパスでは、25人です
私:エッ!? そんな少ないの?
中村さん:インカレで、イベントやったりする人は多いです。だけど、自分は、明治大学公認の団体として活動したいんです。明治大学を地域の人にもっと知ってもらいたいんです。 公認団体となるまで、きちんと活動して実績を出したり約3年かかりました。
私:大学の公認を得るのは大変なんですね。重要なことを聞かせてもらった、ありがとう。また、現役のうちからそういうふうに愛校心に溢れていていいことだね。

私などは、インカレで、たとえ一過性の活動でも、何もやらないよりはやったほうがいいと考えていたが、さらにここまで、現役の学生さんが、自分が属する大学の一構成員として、その大学の社会との関わりに貢献しようとする姿勢には、いたく感銘を受けた。

J. F. Kennedy 大統領は就任演説でアメリカ国民に、国に何をしてほしいかではなく、国のために(国民一人一人が)何をできるか考えようと呼びかけた。それと同じことが大学と大学の構成員(学生だけでなく教職員も)についても言えるのではないだろうか。

最近、中村さんのそういう気持ちをストレートに綴ったblogを発見した。みなさんもご覧になってください。

2011年1月29日 (土)

村松文也さんから日中成人式の報告 「大成功です!」

24日、中国大使館での中国留学経験者懇親会の席上、携帯に電話。なにか伺い案件かと思いながら出てみると、「村松文也です」と第一声。村松さんは、北京大日本人会会長・北京日本人留学生社団代表を務め、1月8日の日中成人式や、それまでも北京で日中学生間の友好活動を企画・実行してきている。

成人式の後、試験期間があり、それも済んで日本に一時帰国しているとのこと。しかし、地元のテレビの取材を受けたら、米国に旅立つとのこと。

日中成人式については、きっぱりと「大成功でした」。その言葉がすべてを語っていると感じた。そしてその晩遅く、成人式を終えての、まだ冷めやらない(いや、永久に冷めないでしょう)熱い思いを綴ったメールを送ってくれた。村松さんの了解の下に、全文を紹介します。

「成人式が終わって:

2010年9月27日にBJSA(北京日本人留学生社団ビジャッサ)を発足して3ヶ月足らず、2011年1月8日北京の地で初めて日中学生合同の成人式を開催することができました。私の22年の人生の中でも、指折りに入る達成感でした。

本当に大変でした。開催1週間はあまりまともに寝てません。前日は一睡もしていません。それもこれも北京で頑張ってる日本の「平成のリーダー」達の為、日中友好の為です。

北京では日本の成人式の時はテスト期間中なので多くの日本人留学生は成人式を迎える事ができません。日本人にとっては大事な大事な成人式。北京にいる日本人留学生にどうしても成人式をやってあげたい!、それに尖閣諸島を巡って日中関係が緊迫しているこの状況下で何か留学生の中で日中関係を促進できる活動をしたい!そういったBJSAのみんなの思いがとうとう叶いました!

企画書から招待状、スポンサー集め、会場レイアウトすべて俺達BJSAがやりました。本当にすごいことだと思う。BJSA(ビジャッサ)みんな達成感に満ち溢れていました。

本当に苦しかったです。何度あきらめようと思ったことか。何度ドタキャンされたことか。当日の司会者ですらドタキャンしたすんですよ。奇跡です。大成功したのは本当にBJSAのみんな、当日スタッフ、中国人主催者とスポンサーの皆様ののおかげです。みんなの臨機応変さ、1ヶ月半の準備の成果です。

一代表者として、何度プレッシャーに押しつぶされそうになったことか。それでも、仲間達の支え、励まし、みんなの努力が俺を救ってくれました。この日中成人式を乗り越えてBJSAの絆が深くなりました。僕はそう感じています。

一代表者としてまだまだ未熟で、何度も自分の感情に流され、時にはスタッフを怒鳴ったこともあります。スタッフからは怖い存在なのかもしれません。自分としても反省することもたくさんあります。でも、この3ヶ月間一代表者として自覚と責任を持って頑張ってきました。そこは自分でも自分を褒めてあげようと思います。

時にはふざける時もあります。だけと自分なりにこの日中成人式のためにこの1ヶ月半を奉げました。

それが成人式当日は報われました。本当に大勢の日中学生の喜ぶ顔、日中友好を目の辺りにしました。大勢のメディアにも注目されました。日本のメディアにも取り上げられました。取材もいっぱいされました。BJSAは本当に意義のある活動をやってのけたのです!

これからBJSAも意義のある活動をしていくBJSAを是非注目してください!来学期も突き進んでいきます!!

これからもどうかご支援、ご指導の程よろしくお願いいたします。」

このメールがすべてを物語っていますね。

今後も、村松さんたちの北京日本人留学社団をはじめ、中国に学ぶ多くの日本人留学生の活動に注目しましょう。

村松さんたちのような若者は、いっぱいいるでしょう。そういう若者が、かれらの発想、かれらのやりかたで、のびのびと、めきめき価値創造をしていける日本社会にしていこうではありませんか。昔の発想、昔のやり方を押し付けていては、彼らを挫くし、世界に遅れをとり、とんでもない損失になる。

最後に、この成人式に協力してくださった日中両国の企業のみなさん、在中国日本大使館のみなさん、成人式でお祝いのご挨拶を下さった李敏寛先生はじめ中国側のみなさんに、このようなすばらしい日中若者の友好行事を支援してくださったことに、心から御礼申し上げます。

そして何よりも、村松さんはじめ、今回の成人式を企画・実行した北京日本人留学生社団のみなさんに大きな拍手を送りたい。おめでとう。You made it!


以下の写真はすべて、村松文也さんを通じて北京日本人留学生社団から提供いただきました。


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中国大使館が中国留学経験者を招き懇親会

1月24日、中国大使館教育部主催で、日本から中国への留学を経験した方々を招いて懇親会を開催した。来賓としてお招きいただいた。

このような催しは初めてとのこと。100人を超える留学経験者が集まり、大変結束力の強さを感じた。出席者の中には、近藤昭一衆議院議員・環境副大臣(北京語言学院に留学)、菊田真紀子衆議院議員・外務大臣政務官(黒竜江大学に留学)もお見えになり、ご挨拶をいただいた。

私は、僭越ながら、乾杯の音頭をお願いされ、このような会を初めて開催してくださった孫建明中国大使館公使参事官はじめ関係の館員の皆様にお礼申し上げ、最近の中国での日本人留学生の活動、とくに1月8日の日中成人式などに触れつつ、先輩留学生から現役留学生へのご支援をお願いした。

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写真提供:菊田真紀子外務大臣政務官秘書官 清水知足さま


みなさんと歓談中、突然携帯に、北京大学に留学中、北京日本人留学生社団の村松文也さんから電話が入った。村松さんは日中成人式をはじめ幾多の両国学生の友好行事の企画・推進に当たってきている。成人式が「大成功でした」と、きっぱり力強い言葉。試験も終わって一時帰国しているとのことだった。さらにその日の夜遅くには、成人式を終えての思いを綴った熱いメールが来た。村松さんの了解もいただいたので、別項で紹介したい。

さて、今回、中国留学経験者を集めるという初めての試みであったが、優に100人以上集まられた。一番早い時期に留学された方はは1976年頃。まさに中国が海外からの留学生を受け入れ始めたときだ。また、もっとも最近では昨年秋に交換留学から帰ってきたばかりという現役の学生さんも。昔留学された方でも帰国後、大使館の孫建明公使参事官(若い頃から、なんども東京勤務をされている)とコンタクトを絶やさず、また留学されていたときの日本人学生の間での絆が強く今も維持されていて、多くの方に連絡がついたということだった。みなさん、留学したのがつい昨日のことであるかのように、和気藹々と語り合っていた。

いつも申し上げているように、国と国の間のしっかりした友好関係には、トップだけの間柄ではなく、国民レベル、草の根レベルの友好関係が不可欠の土台。中国留学経験者のネットワークを、さらに多くの同期の方、年代をこえて、水平、垂直にさらに広げ、中国で築かれた中国の友人との関係も、時間が経とうとも、維持・強化していただけるよう期待したい。

2011年1月23日 (日)

グローバル人材育成には、行動するとき

経団連のサンライズ・レポートを待つまでもなく、このところ、「グローバル人材」を育成せねば、確保せねばという声を聞かない日はない。

では、「グローバル人材」とは、どういう人材なのか。一昔前は英語が流暢なのがグローバル人材というようなsuperficialな見方もあったが、それは的外れだ。実は、グローバル人材育成の必要性に気付き、そのためにどうするかを検討した、産学人材育成パートナーシップのグローバル人材育成委員会では、その議論をする中で、グローバル人材とは何かを明らかにしている。まずは、それをご紹介したい。

その前に、このグローバル人材育成委員会だが、大学、産業界から、組織代表とか、業界代表的な人選ではなく、白木三秀早稲田大学 政治経済学術院教授を委員長に、本当にこの問題に危機感を持ったり、自身でいろいろな実践の経験もある人で構成されている。(資料) 従って、5ヶ月弱にわたる議論も毎回しっかりかみ合い、大学人と産業界の人はきちんと話し合いができることを示せた点でも画期的だったと思う。この委員会のメンバーとなった産業界と大学人との間で教育連携が実際に行われだした例もある。

さて、そのグローバル人材委員会の提唱する「グローバル人材」だが、報告書概要の6ページにあるが、異なる文化的バックグラウンド、価値観を持つ人を理解し、受容し、さらにかれらと協働して新しい価値を作り出していける人材ということだ。語学はこのための手段でしかない。

よく、グローバル人材にはコミュニケーション力が必要と言われる。その通りだ。だけど、注意しなくてはいけないのは、「コミュニケーション」ということの意味だ。日本では、どううも、superficialに捉えられがちではないかと危惧する。つまり、コミュニケーションとは、外国語で言いたいことを伝え、向こうの言っていることがわかるだけでなく、気持ちを一つにできるという境地までを含むものだ。communicate よく見ると、uni が入っている。ラテン語形では、uni は「一つ」を表す。コミュニケーション力には、単に、言える、わかるではまだ足らなくて、(異文化の人と)一つの合意なり、見解なりに至れるところまでが求められていると考えるべきだ。

この「グローバル人材」の定義だが、一点、明記してなかったことがある。グローバル人材委員会で議論したときには、暗黙の了解であったためか、「グローバル人材」とは、そもそも自分が生まれ育った国、文化、価値観に誇りを持ち、そのことを異文化の人にはっきり言えるということを、報告書では明記していなかった。むしろ異文化の人と触れ合うことで、自らの文化に対する見方もより本質的になり、何を誇りに思うかもより主体的に考えられるようになる。

この点は、1月20日に開催された、産学連携によるグローバル人材育成推進会議(第2回)での、新波剛史ローソン社長、谷内正太郎東京電力顧問(元外務事務次官)から、ご指摘いただいた。その通りである。外国で暮らすと、友人などから、日本の何が誇りかといったことは必ず聞かれる。そのときに期待されているのは日本文化評論家や日本analystの言うようなことではない。一人の日本人として、自分は何が誇りと考えるかを言うことだろう。十人十色で構わないし、むしろそうあるべきだ。みんながみんな同じことを言うと、思想統制でもしているのかと思われるのが落ちだ。とにかく、「日本の何を誇りますか」、この問いに自分の考えをストレートに言えないと、外国では、いくら専門分野で能力があろうと、つまらない人間、相手にしてもしょうがないと受け取られる。

だからこそ、遅くとも大学時代までには、実際に外国に出て行って、自分を異文化の中に置いて、日本を見つめなおす気持ち、目線を持ってもらうことを、多くの(理想的にはすべての)学生ができるようにしていくことが重要だ。

その下地作りという関係で、高校までの英語と歴史の教育について思うことがある。

まず、英語であるが、23年度からは小学校5,6年から始まるわけだが、とにかく日本人以外の人と英語で話して、多少間違っていようが、伝わるんだという喜びを味わえるようにすることだと思う。この喜びを味わえば、どんどん勉強する意欲もわくのではないか。Skypeでいくらだって、外国の学校の同年代の児童生徒と話す手段はある。また、日本各地の大学にいる留学生も英語教育にとっての潜在的な資源かもしれない。商社に勤めた方々などで作られたNPO法人国際社会貢献センターでは、すでに小中高校での国際理解教育への講師派遣などの支援を行ってくださっている。

歴史についてだが、現代からさかのぼりで、日本と世界との関係を教えるようにしてほしい。多くの生徒にとって、日本史と世界史を分けることに意味があるのだろうか? 保元・平治の乱の年号とか、だれとだれが戦ったかを覚えることにいかなる意味があるのだろうか。それより、優先度が高いのは、今アジアで何が起こっているか、太平洋戦争に至る過程はなんだったのか、その中で日本とアジア諸国の間には何があったのか、日本の戦後の復興などを学ぶようにすることが重要ではないか。また、歴代将軍を覚えるよりも、日本が世界に誇れる現在の人材(たとえば、緒方貞子さん)の生き様を学ぶほうが重要ではないか。次のフェーズとして、世界4大文明発祥からの大きな流れは、黄河文明を題材に東アジア地域の大きな流れを学ぶ。統治体制の変遷だけでなく、人口の動向、これまでの歴史上のイノベーション、経済の発展、産業の変化、地球的・地域的課題の発生など、これからの地球市民の基礎知識を教えるように。その上で、日本でも世界でも個別の事項をさらに勉強したい生徒は勉強できるようにすべきではと考える。

グローバル人材委員会の報告書には、産学官で日本人の送り出し支援をはじめ、何をなすべきかも書かれている。(報告書概要では、8-12ページ) 経団連のサンライズレポート、経済同友会の2020年の日本創生 -若者が輝き、世界が期待する国へ-でも、企業側でも動くとしている。それぞれが連携しつつ動く時だ。私たちは産学連携によるグローバル人材育成推進会議で3月末までに、戦略的方向性を示していただきますが、もうそれ以上の紙はいいでしょう。 動きながらレビューして、規模拡大なりsophisticationなどしていけばいいと思う。

2011年1月19日 (水)

やっぱし 永代橋!

1月18日は、在日中国大使館教育処が、新年会を開いてくださった。毎年、晩夏には中国政府の奨学金で中国に出かける日本人留学生の壮行会も開いてくださるなど、いつもhospitalityには感謝。

帰り道、隅田川に架かる永代橋を渡る。

実は、その中国大使館教育処に何度か出かけるたびに永代橋を渡るのだが、その麗美さと質実剛健さにビビッとくる。それをきっかけに隅田川にかかる橋を探訪したりしたが、やっぱし永代橋に右に出るものなし。

まだライトアップしていたので、一枚パチリ。
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隅田川にかかる橋のほとんどは関東大震災後の復興で建設された。web上で調べると、単に機能だけでなく、ひとつひとつの橋を異なる様式にしたりと、東京湾から浅草などへのgatewayである隅田川の美も追求していたことがうかがえる。これらの橋は、1945年3月10日の東京大空襲も生き延びている。

永代橋について言えば、鋼板をリベットでつなげて構造物にしている。このリベットがきれいに規則的に並んでいて、建設当時の職人さんの丁寧な仕事を想わせる。(別の機会に昼間に撮った写真)
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ついでにもう一枚。永代橋から隅田川下流方向を望む。正面は月島北端部の高層ビル群。
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さて、タイトルの「やっぱし」には、違和感を覚えた方もおられるのでは? 「やはり」というべきところだが、わたしは、日常的に「やっぱし」を使ってしまう。2007年7月16日に起きた中越沖地震数日後、現地での柏崎刈羽原子力発電所に関する記者会見の中でも「やっぱし」を使ってしまった。「やっぱし、休日当番4人というのは少なかったと思います。」 その一週間くらい前まで他の職場の同僚であった林希彦くんからは、「ああいうときには、『やっぱし』は使わないほうがいいですよ」と戒められたが、一向に改められないでいる。


2011年1月15日 (土)

北京で日中合同成人式 北京の日本人留学生が企画・実行

昨年12月北京に出張したとき、北京日本人留学生社団会長の村松文也さんから、年明け8日に日中合同成人式をやるべき準備を進めていることを聞いた

年明け5日に来たメールでは、急に会場が変更になったことなど伝えてきたが、「ここにきて少し不安になってきました。笑。しかし、めげずに頑張りたいと思います。」とあり、そのoptimisticなところに彼らしいなと思いつつ、ぜひ成功させてほしいと願ってました。

中国の大学はいま前期(9月始まり)の試験シーズンで村松さんもそれに打ち込んでいるんでしょう。彼からの報告はまだありませんが、各種ニュースなどから、無事行われ、参加した日中両国の若者は成人式を楽しみ、友好の絆を深めたと見受けます。参加した成人のみなさん、おめでとうございます。
新華網
中国網
北京メディアウォッチ
村松さんの写真もありますが、その顔つきから見ると、直前までhardworkだったと思いますが、自信をもって開催できたものと見受けます。

成人式には、中国人民政治協商会議の元副事務長である台湾民主自治同盟中央副主席の李敏寛さん、在中国日本大使館の臼井将人参事官さんもかけつけ、ご挨拶をいただけたようでです。また、両国のわかもののさまざまなパフォーマンス、総合理解、友好の気持ちを深めたことでしょう。

李敏寛さんは、大阪生まれ、本籍台湾という方で、野球・ソフトボールに熱心に取り組まれ、1998年アトランタオリンピックでは、ソフトボール中国代表チームを率いて銀メダルを獲得に導いておられます。

李さん、臼井さん、今回の成人式を支援してくださった日中両国の企業や関係者の皆さん、ありがとうございました。また、村松さんはじめ合同成人式の企画・運営にあたられた皆さん、ほんとうにご苦労様でした。

このような両国の若者の間の友好は、両国間のしっかりとした持続的な友好の欠かせない基礎でしょう。丹羽宇一郎大使はこう述べておられます。「いまや日中関係の担い手は、政治家や外交官という一部の人々ではなく、一人一人の国民が主人公になりつつあります。中国に来て一番感じるのは、この点です。特に、高校生や大学生などの若い人々が、国や言葉の違いを難なく乗り越えて交流を深めている姿を見ると、とても頼もしく思います。」

村松さんから報告があったら、また書きます。

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