大学は、今こそ、内なる国際化を
グローバル化時代に企業、大学などのリーダーとなれる人材を育てるには、海外に出る学生を増やすとともに、日本の大学の国際化、つまり、「内なる国際化」も進めねばならない。王道はむしろこっちだ。
これを読んでる、あなた、パナソニックの大坪社長の外国人採用枠拡大宣言は、どうとらえました? 日本人学生の採用が苦しくなるな、でしたか?
最近、海外でリクルートする企業が出てきているのをご存知でしょうか。なぜでしょう? 英語ができる日本人を取りたいからでしょうか。現地法人の幹部になる外国人を確保するためでしょうか。
上記のようにしか考えないことは、企業からの重要なシグナルを見落としています。
10年少し前、研究開発での産学連携がわいわい言われ出したとき、日本の企業が大学に研究を委託するお金をみると、日本の大学によりも外国の大学に対して、より多く出していることがよく取り沙汰されました。日本の企業だから日本の大学に研究委託すべきだという考えが見え隠れしていましたが、何言ってるんですか?という感じです。同じ金額投下するんなら、効率・効果のいい方に投下するのはきわめて当たり前です。
これと同じことが、人材育成について起こり始めたとみるべきでしょう。つまり、上記のような企業の動きは、かれらはもはや、ある層の人材については日本の大学にその育成・供給機能を期待していないことの現われだと、とくにそういう層の人材を育成・供給することが求められている大学は、きわめて深刻に、危機感をもって、受け止めるべきです。
昔は企業も大学も、国境に守られていました。企業のほうが先に、国境という「守り」のない世界にいやおうなく放り込まれ、どう生き延びるか四苦八苦しています。企業活動は、いまや、国境を越えて、あちこちにある経営資源をいかにうまく使うか、あちこちそれぞれの地域でそこに合うビジネスモデルでやるのが、生き残る基本の道でしょう。
大学についてはどうか。研究についてはもともと国際競争でしたが、教育については日本人を育て日本の会社に入れていくというのが基本で、いわば国境の中の世界。ところがそれでは、企業は満たされなくなって、背に腹は変えられず、どこだろうといい人材を採りに行くようになったということです。
トップ層の人材を育成することが期待されている大学は、そのために、相当のことをやり、それが企業に見えるようにしていかないと、どうなるかわりますね。追加の資金がなければできないなどと言ってる場合ではないです。企業は生き残りのために新たなことをやるときは、従来やってきたことの中で優先度が低いものは止めるんです。
29日金曜日の中央教育審議会大学分科会では、安西座長から何度か、大学が危機感を持っているかが問題だという趣旨のご発言がありました。おっしゃていたのは、博士課程がどうこうという矮小なことではなく、我が国大学の果たすべき、ある層の人材育成・供給機能が企業から期待されなくなり始めたことに危機感を持ってほしいという意味だったと思います。
大学も国境が無意味になるくらい国際化しなければなりません。単に、学生、教員の外国人比率を増やせばいいとか、留学生関係事務の人の国際性を増すなどというだけでは、きわめて上っ面だけのこと、superficialです。大学の経営の脱日本化、国際化が本来やるべきことです。