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2011年1月

2011年1月29日 (土)

村松文也さんから日中成人式の報告 「大成功です!」

24日、中国大使館での中国留学経験者懇親会の席上、携帯に電話。なにか伺い案件かと思いながら出てみると、「村松文也です」と第一声。村松さんは、北京大日本人会会長・北京日本人留学生社団代表を務め、1月8日の日中成人式や、それまでも北京で日中学生間の友好活動を企画・実行してきている。

成人式の後、試験期間があり、それも済んで日本に一時帰国しているとのこと。しかし、地元のテレビの取材を受けたら、米国に旅立つとのこと。

日中成人式については、きっぱりと「大成功でした」。その言葉がすべてを語っていると感じた。そしてその晩遅く、成人式を終えての、まだ冷めやらない(いや、永久に冷めないでしょう)熱い思いを綴ったメールを送ってくれた。村松さんの了解の下に、全文を紹介します。

「成人式が終わって:

2010年9月27日にBJSA(北京日本人留学生社団ビジャッサ)を発足して3ヶ月足らず、2011年1月8日北京の地で初めて日中学生合同の成人式を開催することができました。私の22年の人生の中でも、指折りに入る達成感でした。

本当に大変でした。開催1週間はあまりまともに寝てません。前日は一睡もしていません。それもこれも北京で頑張ってる日本の「平成のリーダー」達の為、日中友好の為です。

北京では日本の成人式の時はテスト期間中なので多くの日本人留学生は成人式を迎える事ができません。日本人にとっては大事な大事な成人式。北京にいる日本人留学生にどうしても成人式をやってあげたい!、それに尖閣諸島を巡って日中関係が緊迫しているこの状況下で何か留学生の中で日中関係を促進できる活動をしたい!そういったBJSAのみんなの思いがとうとう叶いました!

企画書から招待状、スポンサー集め、会場レイアウトすべて俺達BJSAがやりました。本当にすごいことだと思う。BJSA(ビジャッサ)みんな達成感に満ち溢れていました。

本当に苦しかったです。何度あきらめようと思ったことか。何度ドタキャンされたことか。当日の司会者ですらドタキャンしたすんですよ。奇跡です。大成功したのは本当にBJSAのみんな、当日スタッフ、中国人主催者とスポンサーの皆様ののおかげです。みんなの臨機応変さ、1ヶ月半の準備の成果です。

一代表者として、何度プレッシャーに押しつぶされそうになったことか。それでも、仲間達の支え、励まし、みんなの努力が俺を救ってくれました。この日中成人式を乗り越えてBJSAの絆が深くなりました。僕はそう感じています。

一代表者としてまだまだ未熟で、何度も自分の感情に流され、時にはスタッフを怒鳴ったこともあります。スタッフからは怖い存在なのかもしれません。自分としても反省することもたくさんあります。でも、この3ヶ月間一代表者として自覚と責任を持って頑張ってきました。そこは自分でも自分を褒めてあげようと思います。

時にはふざける時もあります。だけと自分なりにこの日中成人式のためにこの1ヶ月半を奉げました。

それが成人式当日は報われました。本当に大勢の日中学生の喜ぶ顔、日中友好を目の辺りにしました。大勢のメディアにも注目されました。日本のメディアにも取り上げられました。取材もいっぱいされました。BJSAは本当に意義のある活動をやってのけたのです!

これからBJSAも意義のある活動をしていくBJSAを是非注目してください!来学期も突き進んでいきます!!

これからもどうかご支援、ご指導の程よろしくお願いいたします。」

このメールがすべてを物語っていますね。

今後も、村松さんたちの北京日本人留学社団をはじめ、中国に学ぶ多くの日本人留学生の活動に注目しましょう。

村松さんたちのような若者は、いっぱいいるでしょう。そういう若者が、かれらの発想、かれらのやりかたで、のびのびと、めきめき価値創造をしていける日本社会にしていこうではありませんか。昔の発想、昔のやり方を押し付けていては、彼らを挫くし、世界に遅れをとり、とんでもない損失になる。

最後に、この成人式に協力してくださった日中両国の企業のみなさん、在中国日本大使館のみなさん、成人式でお祝いのご挨拶を下さった李敏寛先生はじめ中国側のみなさんに、このようなすばらしい日中若者の友好行事を支援してくださったことに、心から御礼申し上げます。

そして何よりも、村松さんはじめ、今回の成人式を企画・実行した北京日本人留学生社団のみなさんに大きな拍手を送りたい。おめでとう。You made it!


以下の写真はすべて、村松文也さんを通じて北京日本人留学生社団から提供いただきました。


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中国大使館が中国留学経験者を招き懇親会

1月24日、中国大使館教育部主催で、日本から中国への留学を経験した方々を招いて懇親会を開催した。来賓としてお招きいただいた。

このような催しは初めてとのこと。100人を超える留学経験者が集まり、大変結束力の強さを感じた。出席者の中には、近藤昭一衆議院議員・環境副大臣(北京語言学院に留学)、菊田真紀子衆議院議員・外務大臣政務官(黒竜江大学に留学)もお見えになり、ご挨拶をいただいた。

私は、僭越ながら、乾杯の音頭をお願いされ、このような会を初めて開催してくださった孫建明中国大使館公使参事官はじめ関係の館員の皆様にお礼申し上げ、最近の中国での日本人留学生の活動、とくに1月8日の日中成人式などに触れつつ、先輩留学生から現役留学生へのご支援をお願いした。

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写真提供:菊田真紀子外務大臣政務官秘書官 清水知足さま


みなさんと歓談中、突然携帯に、北京大学に留学中、北京日本人留学生社団の村松文也さんから電話が入った。村松さんは日中成人式をはじめ幾多の両国学生の友好行事の企画・推進に当たってきている。成人式が「大成功でした」と、きっぱり力強い言葉。試験も終わって一時帰国しているとのことだった。さらにその日の夜遅くには、成人式を終えての思いを綴った熱いメールが来た。村松さんの了解もいただいたので、別項で紹介したい。

さて、今回、中国留学経験者を集めるという初めての試みであったが、優に100人以上集まられた。一番早い時期に留学された方はは1976年頃。まさに中国が海外からの留学生を受け入れ始めたときだ。また、もっとも最近では昨年秋に交換留学から帰ってきたばかりという現役の学生さんも。昔留学された方でも帰国後、大使館の孫建明公使参事官(若い頃から、なんども東京勤務をされている)とコンタクトを絶やさず、また留学されていたときの日本人学生の間での絆が強く今も維持されていて、多くの方に連絡がついたということだった。みなさん、留学したのがつい昨日のことであるかのように、和気藹々と語り合っていた。

いつも申し上げているように、国と国の間のしっかりした友好関係には、トップだけの間柄ではなく、国民レベル、草の根レベルの友好関係が不可欠の土台。中国留学経験者のネットワークを、さらに多くの同期の方、年代をこえて、水平、垂直にさらに広げ、中国で築かれた中国の友人との関係も、時間が経とうとも、維持・強化していただけるよう期待したい。

2011年1月23日 (日)

グローバル人材育成には、行動するとき

経団連のサンライズ・レポートを待つまでもなく、このところ、「グローバル人材」を育成せねば、確保せねばという声を聞かない日はない。

では、「グローバル人材」とは、どういう人材なのか。一昔前は英語が流暢なのがグローバル人材というようなsuperficialな見方もあったが、それは的外れだ。実は、グローバル人材育成の必要性に気付き、そのためにどうするかを検討した、産学人材育成パートナーシップのグローバル人材育成委員会では、その議論をする中で、グローバル人材とは何かを明らかにしている。まずは、それをご紹介したい。

その前に、このグローバル人材育成委員会だが、大学、産業界から、組織代表とか、業界代表的な人選ではなく、白木三秀早稲田大学 政治経済学術院教授を委員長に、本当にこの問題に危機感を持ったり、自身でいろいろな実践の経験もある人で構成されている。(資料) 従って、5ヶ月弱にわたる議論も毎回しっかりかみ合い、大学人と産業界の人はきちんと話し合いができることを示せた点でも画期的だったと思う。この委員会のメンバーとなった産業界と大学人との間で教育連携が実際に行われだした例もある。

さて、そのグローバル人材委員会の提唱する「グローバル人材」だが、報告書概要の6ページにあるが、異なる文化的バックグラウンド、価値観を持つ人を理解し、受容し、さらにかれらと協働して新しい価値を作り出していける人材ということだ。語学はこのための手段でしかない。

よく、グローバル人材にはコミュニケーション力が必要と言われる。その通りだ。だけど、注意しなくてはいけないのは、「コミュニケーション」ということの意味だ。日本では、どううも、superficialに捉えられがちではないかと危惧する。つまり、コミュニケーションとは、外国語で言いたいことを伝え、向こうの言っていることがわかるだけでなく、気持ちを一つにできるという境地までを含むものだ。communicate よく見ると、uni が入っている。ラテン語形では、uni は「一つ」を表す。コミュニケーション力には、単に、言える、わかるではまだ足らなくて、(異文化の人と)一つの合意なり、見解なりに至れるところまでが求められていると考えるべきだ。

この「グローバル人材」の定義だが、一点、明記してなかったことがある。グローバル人材委員会で議論したときには、暗黙の了解であったためか、「グローバル人材」とは、そもそも自分が生まれ育った国、文化、価値観に誇りを持ち、そのことを異文化の人にはっきり言えるということを、報告書では明記していなかった。むしろ異文化の人と触れ合うことで、自らの文化に対する見方もより本質的になり、何を誇りに思うかもより主体的に考えられるようになる。

この点は、1月20日に開催された、産学連携によるグローバル人材育成推進会議(第2回)での、新波剛史ローソン社長、谷内正太郎東京電力顧問(元外務事務次官)から、ご指摘いただいた。その通りである。外国で暮らすと、友人などから、日本の何が誇りかといったことは必ず聞かれる。そのときに期待されているのは日本文化評論家や日本analystの言うようなことではない。一人の日本人として、自分は何が誇りと考えるかを言うことだろう。十人十色で構わないし、むしろそうあるべきだ。みんながみんな同じことを言うと、思想統制でもしているのかと思われるのが落ちだ。とにかく、「日本の何を誇りますか」、この問いに自分の考えをストレートに言えないと、外国では、いくら専門分野で能力があろうと、つまらない人間、相手にしてもしょうがないと受け取られる。

だからこそ、遅くとも大学時代までには、実際に外国に出て行って、自分を異文化の中に置いて、日本を見つめなおす気持ち、目線を持ってもらうことを、多くの(理想的にはすべての)学生ができるようにしていくことが重要だ。

その下地作りという関係で、高校までの英語と歴史の教育について思うことがある。

まず、英語であるが、23年度からは小学校5,6年から始まるわけだが、とにかく日本人以外の人と英語で話して、多少間違っていようが、伝わるんだという喜びを味わえるようにすることだと思う。この喜びを味わえば、どんどん勉強する意欲もわくのではないか。Skypeでいくらだって、外国の学校の同年代の児童生徒と話す手段はある。また、日本各地の大学にいる留学生も英語教育にとっての潜在的な資源かもしれない。商社に勤めた方々などで作られたNPO法人国際社会貢献センターでは、すでに小中高校での国際理解教育への講師派遣などの支援を行ってくださっている。

歴史についてだが、現代からさかのぼりで、日本と世界との関係を教えるようにしてほしい。多くの生徒にとって、日本史と世界史を分けることに意味があるのだろうか? 保元・平治の乱の年号とか、だれとだれが戦ったかを覚えることにいかなる意味があるのだろうか。それより、優先度が高いのは、今アジアで何が起こっているか、太平洋戦争に至る過程はなんだったのか、その中で日本とアジア諸国の間には何があったのか、日本の戦後の復興などを学ぶようにすることが重要ではないか。また、歴代将軍を覚えるよりも、日本が世界に誇れる現在の人材(たとえば、緒方貞子さん)の生き様を学ぶほうが重要ではないか。次のフェーズとして、世界4大文明発祥からの大きな流れは、黄河文明を題材に東アジア地域の大きな流れを学ぶ。統治体制の変遷だけでなく、人口の動向、これまでの歴史上のイノベーション、経済の発展、産業の変化、地球的・地域的課題の発生など、これからの地球市民の基礎知識を教えるように。その上で、日本でも世界でも個別の事項をさらに勉強したい生徒は勉強できるようにすべきではと考える。

グローバル人材委員会の報告書には、産学官で日本人の送り出し支援をはじめ、何をなすべきかも書かれている。(報告書概要では、8-12ページ) 経団連のサンライズレポート、経済同友会の2020年の日本創生 -若者が輝き、世界が期待する国へ-でも、企業側でも動くとしている。それぞれが連携しつつ動く時だ。私たちは産学連携によるグローバル人材育成推進会議で3月末までに、戦略的方向性を示していただきますが、もうそれ以上の紙はいいでしょう。 動きながらレビューして、規模拡大なりsophisticationなどしていけばいいと思う。

2011年1月19日 (水)

やっぱし 永代橋!

1月18日は、在日中国大使館教育処が、新年会を開いてくださった。毎年、晩夏には中国政府の奨学金で中国に出かける日本人留学生の壮行会も開いてくださるなど、いつもhospitalityには感謝。

帰り道、隅田川に架かる永代橋を渡る。

実は、その中国大使館教育処に何度か出かけるたびに永代橋を渡るのだが、その麗美さと質実剛健さにビビッとくる。それをきっかけに隅田川にかかる橋を探訪したりしたが、やっぱし永代橋に右に出るものなし。

まだライトアップしていたので、一枚パチリ。
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隅田川にかかる橋のほとんどは関東大震災後の復興で建設された。web上で調べると、単に機能だけでなく、ひとつひとつの橋を異なる様式にしたりと、東京湾から浅草などへのgatewayである隅田川の美も追求していたことがうかがえる。これらの橋は、1945年3月10日の東京大空襲も生き延びている。

永代橋について言えば、鋼板をリベットでつなげて構造物にしている。このリベットがきれいに規則的に並んでいて、建設当時の職人さんの丁寧な仕事を想わせる。(別の機会に昼間に撮った写真)
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ついでにもう一枚。永代橋から隅田川下流方向を望む。正面は月島北端部の高層ビル群。
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さて、タイトルの「やっぱし」には、違和感を覚えた方もおられるのでは? 「やはり」というべきところだが、わたしは、日常的に「やっぱし」を使ってしまう。2007年7月16日に起きた中越沖地震数日後、現地での柏崎刈羽原子力発電所に関する記者会見の中でも「やっぱし」を使ってしまった。「やっぱし、休日当番4人というのは少なかったと思います。」 その一週間くらい前まで他の職場の同僚であった林希彦くんからは、「ああいうときには、『やっぱし』は使わないほうがいいですよ」と戒められたが、一向に改められないでいる。


2011年1月15日 (土)

北京で日中合同成人式 北京の日本人留学生が企画・実行

昨年12月北京に出張したとき、北京日本人留学生社団会長の村松文也さんから、年明け8日に日中合同成人式をやるべき準備を進めていることを聞いた

年明け5日に来たメールでは、急に会場が変更になったことなど伝えてきたが、「ここにきて少し不安になってきました。笑。しかし、めげずに頑張りたいと思います。」とあり、そのoptimisticなところに彼らしいなと思いつつ、ぜひ成功させてほしいと願ってました。

中国の大学はいま前期(9月始まり)の試験シーズンで村松さんもそれに打ち込んでいるんでしょう。彼からの報告はまだありませんが、各種ニュースなどから、無事行われ、参加した日中両国の若者は成人式を楽しみ、友好の絆を深めたと見受けます。参加した成人のみなさん、おめでとうございます。
新華網
中国網
北京メディアウォッチ
村松さんの写真もありますが、その顔つきから見ると、直前までhardworkだったと思いますが、自信をもって開催できたものと見受けます。

成人式には、中国人民政治協商会議の元副事務長である台湾民主自治同盟中央副主席の李敏寛さん、在中国日本大使館の臼井将人参事官さんもかけつけ、ご挨拶をいただけたようでです。また、両国のわかもののさまざまなパフォーマンス、総合理解、友好の気持ちを深めたことでしょう。

李敏寛さんは、大阪生まれ、本籍台湾という方で、野球・ソフトボールに熱心に取り組まれ、1998年アトランタオリンピックでは、ソフトボール中国代表チームを率いて銀メダルを獲得に導いておられます。

李さん、臼井さん、今回の成人式を支援してくださった日中両国の企業や関係者の皆さん、ありがとうございました。また、村松さんはじめ合同成人式の企画・運営にあたられた皆さん、ほんとうにご苦労様でした。

このような両国の若者の間の友好は、両国間のしっかりとした持続的な友好の欠かせない基礎でしょう。丹羽宇一郎大使はこう述べておられます。「いまや日中関係の担い手は、政治家や外交官という一部の人々ではなく、一人一人の国民が主人公になりつつあります。中国に来て一番感じるのは、この点です。特に、高校生や大学生などの若い人々が、国や言葉の違いを難なく乗り越えて交流を深めている姿を見ると、とても頼もしく思います。」

村松さんから報告があったら、また書きます。

2011年1月10日 (月)

外向き胎動

去年までは、やたら、内向きだ(特に若者が)というだけで、なんでそうなのか、どうすべきなのかについてはあまり議論のなかった各紙面であったが、年明けた途端にガラッとトーンが変わったなと見ている。

つまり、外向きに活躍する実像紹介が多く行われている。日本経済新聞1月1日特集の「跳べニッポン人」朝日新聞1月3日「ひと」へのバングラのドラゴン桜こと早稲田大学の税所篤快さんの登場、朝日新聞特集「教育 あしたへ」の第9回、1月9日に登場した、ワクワーク・イングリッシュの社長でもある慶應義塾大学院の山田貴子さんなどなど、もちろん他紙の紙面でも多くのこのような、外に飛び出してって、あるいは外との強い結びつきの下に、ガンガン活動する若者の実像が報じられていた。

さらに、Twitterでフォローしている、フォローされている方のTwitをよくフォローしてみると、大学在学中に世界一周をして就活も無事終了という学生さんもいることに気付いた。現に、学部4年間のうちに1年間の留学+世界一周をして、3日間の就活で職をゲットしている学生さんもいる。就活の早期化が留学の妨げになると言われているが、そんなの関係なく留学もし、職も得られる学生さんもいるということだ。

「外向き胎動」というタイトルで書いているが、実は、われわれの気づき方が遅いのであって、胎動どころではなく、生育段階ととらえたほうがいいかもしれない。

要は、こういう学生を日本の大学、あるいは海外で学ぶ日本の学生で増えていくような環境を作ることだ。出て行けといわれて出て行くのではなく、出て行きたいな、出て行こうかなと思いつつもちょっと迷っているようなところに、出て行くといいよと一押しがあるような。そしてそれは大学の中だけでなく、企業側からも、外に出て行ってそれなりの成長があれば(もちろん、ただ行ったというだけではダメだ。)、ちゃんと考えますよ、またそういうスケジュールを考えますよというメッセージを学生に届くようにloud unisonで発していただくことが大事だろう。


博物館、美術館には、ウェブ時代、グローバル化時代のパラダイムシフトがあってもいいのでは?

9日、国立歴史民俗博物館に行ってきました。千葉県佐倉市にあります。

なぜに行ったのかということです。昨年12月18日の、九州大学韓国研究センター創立10周年記念行事。来賓でお見えになっていた、NPO法人辛基秀と朝鮮通信使を研究する青丘文化ホール理事長の姜鶴子さまと二人のお嬢様を、松原孝俊センター長にご紹介いただき話している中で、辛基秀先生が収集された朝鮮通信使を伝える絵巻物などの史料は多数あるが、佐倉でほんの一部公開されいるだけで、ウェブを使うなりしてもっと多くの人に見てもらいたいというお話がありました。そのときは、「佐倉っていうのは?」などとまったく素人の質問をしてしまいました。(歴史民俗文化博物館なるものが佐倉市にあることも知りませんでした。)

最近では、絵巻物の展示だけでなく、天井から吊るされた大きなモニターに映し出しているが、こく一部だけだというお話だったので、どのようなものなのか見てみようと、3連休で時間もできたので、行ってみたというもの。

今回は、この朝鮮通信使絵巻を見るのが目的なので、入館したら、まず第3展示室-近代-に直行。展示室に入ってすぐにあると伺ってました。なるほど天井から大きなモニター。しかし映し出されるのは、朝鮮通信使の行列の中心部をゆっくり数分間パンするもの。別途、卓上設備で、絵巻のどこでも希望するところを拡大、縮小して、解説つきで見ることもできますが、来館者が絵巻全体を見てみるなどは時間的にも、姿勢的にも無理でしょう。

この展示室をじっくり見ました、歴史的資料からも、新たに作った模型など(江戸の日本橋、江戸橋周辺のジオラマ、北前舟など)からも、当時の日本人たちの生き生きとした暮らしぶりが伝わってきました。ここに飾っておくだけなのはもったいないと感じます。この場所だと、年間どれだけの人が見に来れるのでしょう。朝鮮通信使の絵巻もそうですが、ウェブで見られるようにすることは重要だと感じました。教育現場の電子化とも連携すればいいですね。また、この博物館は当然歴史研究成果を知らせるというのも任務としてあるのでしょうから、論文にするだけでなく、ウェブを通じて国内外の市民・マスコミにもどんどん発信したらいいと思います。日本がどんな国か(過去、現在、未来)を世界に発信することは、グローバル化する中で存在感を出す上でも重要だろう。

博物館も、美術館も、展示されているものは収蔵品のごく一部と聞く。ウェブ発信することで多くの収蔵品について情報発信できでしょう。そうすることで歴史・美術研究だって進むのではないでしょうか。また、何より、日本国民が、自分たちはどこから来たかに関心を持ち、知り、外国人に日本の何がいいか聞かれても、一人一人がそれぞれの思いで語れる基礎になるでしょう。これは実はグローバル化の時代には大変大切なことだと思うのです。自らの文化・国について自分なりに語れることなしに、異文化理解できますなどと言ってみても、向こうはパートナーとしては見てくれないでしょう。ウェブ時代の博物館、美術館にはパラダイムシフトがあって然るべきと感じました。つまり、そこに行かない限り、見られない、知れないというのは、もうどうかなということです。もちろん現物を見ること(とくに芸術品の場合)の重要さを否定するものではありませんが、ウェブである範囲までは見られる、知れるようにというのは、そこまででもまったく見ない、知らないよりは、刺激をうけたりする人がいるわけだし、本当に現物を見たい人を増やすことにも繋がるのではないでしょうか。

なお、このブログを書きながら辛基秀先生について調べたところ、日韓友好のために、さまざまな形で情熱的に取り組まれていたことがわかりました。一番よく表されていると感じた一文を紹介させていただきます。ジャーナリストの上野俊彦さんが書かれた『辛基秀と朝鮮通信使の時代 韓流の原点を求めて』の「序にかえて」です。辛基秀の崇高な理念に改めて敬意を表します。

さて、この歴史民俗博物館、京成佐倉駅から徒歩15分くらいと書きましたが、かつての佐倉城のあった城址公園の中にあります。佐倉城は天然の丘を活用した土塁で防護された城だそうです。この公園、起伏にしても、木の植わり方にしても、ゆったりした感じでいいです。(個人的には、この一帯の丘がいつごろ、どうやってできたのかも関心があります。海岸段丘かな?) 桜のシーズンなどよさそうです。行ったことない方、ぜひ一度訪れるといいと思います。私も、今度は、別の時代の展示をよく見てみたいです。


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